「パワースポット」いつのまにか、すごいメジャーな言葉になっていた。
メジャーになる分、多くの解釈もされて、研究の対象になり、攻撃もされる。
ま、メジャー故しょうがないですよね。
日経ビジネスなんていう、固そうなのサイトでも最近2つほど記事を見かけた。

この小田嶋さんが書かれた「パワースポットめぐりでパワーを奪われていないだろうか?」という記事。この記事自体は、最近のパワースポットを扱う番組の無責任さを危惧し、また、多くの視聴者がパワースポットにのせられているとして
パワースポットのような営業トークにひっかかってしまうのは、たぶん、一人前の大人としての判断力を身につけていないという意味で不運な人々なのだと思う。で、そんなふうに不運に生まれついた人物であるがゆえに、彼らには、パワースポットのような擬似的な慰めが必要なのかもしれない。ここまではわかる。が、業者の側から見れば、彼らの利益の源泉は、運の悪い人間の運の悪さにつけこむことの中にしか無いわけで、つまり、運の悪いカモはカモられ続けるということになる。こんなことで良いのだろうか。彼らはパワーを奪われているのではないのか?
と、分析しています。
僕自身、パワースポットが大好きで、なんとか、多くの人に伝えたいなあとはおもっていましたが、最近の盛り上がり方は、ちょっと、異常だなあともおもっています。
セドナや清正井はたしかに、パワースポットなんだけど、それだけじゃないんですよね。
小田嶋さんの論点とはちょっと、違うのですが、パワースポットにご利益とか、パワーを期待するのは、よくないかもなあと思っています。
パワースポットという場所は、実はどこにでもあって、人それぞれ、必要な場所もタイミングも違うのではと思います。
それは、スポットのような場所に限らず、人との出会いもそうですよね。
だから、パワースポットっていうのは、この世界全体がすごーく、よくできた、ワンダーランドで、この驚き世界に、やってきて、僕らは、人生しているってことを、思い出すための「きっかけ」なんじゃないかとおもっています。
「きっかけ」とか、「付箋」でもいいけど、そのくらいのもの。
パワースポットのうさんくささは、見えなくて、測定不能、なところではありますが、「富士山」の美しさが測定しようがないように、パワースポットのパワーも測定しようがないのですよね。
テレビでだれかがなにかをいってそれにのせられるのは、パワースポットの問題じゃなくて、テレビとかに頼ってしまう何か弱さとかかな。
納豆ダイエットとかっていうのもありましたものね。
だれかの体験談がどうであれ、ぜひ、ご自身で体験してみてください。
明治神宮も、皇居も、セドナも富士山も、美しい場所であることは確かです。
美しさのなかで、落ち着いて、自分自身を見つめてみる。
そのこと自体がパワーアップですね。
おー、そうなると、別に、どこにもいかなくてもいいぞー
今いる場所で、ちょっと、落ち着いて、パワーを感じてみましょうか。